これまでに先物を入れていなかった日本の株式市場には、裁定取引を禁止する規定もない。
株価の急落はそこをねらわれた、というのが米証券仕掛け人説である。
米系大手証券も、右に見たようなバブル末期の株価の動きを見ての行動ではあったろう。
先物と現物のうち、まず、より値動きの遠い先物を空売りする。
先物の値下がりが大きければ、現物が割高になる。
今度は現物が売られる。
先物が割高になれば、次は先物。
こうした取引が、最新のハイテク金融技術によってきわめて短時間のうちに行われた。
それが引き金になって日経平均が急落、株価の暴落につながったという筋書きである。
真偽はともかく、少なくともアメリカがブラック・マンデーの後に行ったような暴落過程の究明・調査を、大蔵省は行ってしかるべきであった。
大型株大量売買の手法を編み出した日本のトップ証券にしても、これら「ハイテク金融技術」の持つポテンシャルには意外に疎かったのではあるまいか。
もし逆に日系証券会社が、同様な行動をニューヨーク市場でとったら、一体どのような米国内の反応を引き起こすだろうか。
そのことを考えると、「ウォール街基準」はここにも厳然として存在しているように思われる。
失われた緩衝装置九二年十一月十五目付『ニューヨーク・タイムズ』紙に、『冷たい戦争米日独』の著者ジェフリー・ガーテンの、クリントン大統領誕生直後の一文、「就任式以前であっても」が載っている。
ガーテンはこのなかで、新政権の政策運営に対する市場の反応は未知数であり、ドルを共同防衛する必要がいつ発生するかもしれず、ボンと東京を早急に訪問して緊急事態への対応計画を立てておくべきだと忠告している。
野心的な景気刺激策の発表一財政赤字の拡大予想一ドル暴落、といった事態を想定していたものと思われるが、このアドバイスは一般的な状況認識としてはまことに正しかった。
日本は、折にふれ指摘したように、経常黒字を本来の円建てで対外環流するチャネルの形成を長い間怠ってきた。
そこでジャパン・マネーは、やむなく財務省証券やさらに実物資産など、ドル建て資産を保有してきたが、バブルの崩壊によって、ドル建て資産の為替リスクに対する最後のバッファが失われたのである。
バブル経済が崩壊したために、日本の金融機関は対米投融資のリスク負担の最後のよりどころを失い、資金環流の道はきわめて細くなってしまった。
日本株が暴落をはじめた九〇年の暮英『エコノミスト』誌は早くも特集を組み、「株式と不動産の値下りで世界的にジャパン・マネーが入手し難くなる」と警告を発していたが、バブル崩壊後の展開はまさしくそのように進んだ。
バブル崩壊後の、日本の対外資金収支の変化を概観しておこう。
それまでの日本は、増大した経常黒字に、さらにドル資金調達を加え、その黒字幅を上回る長期資本収支の赤字を計上、アメリカを中心に据えた対外マネー供給を行ってきた。
このパターンは、ブラック・マンデー、の八七年には若干動揺したものの、八〇年代後半を通じて基本的には維持されたといえる。
ところが、バブルの決定的崩壊が始まった九〇年には、このパターンが大きく変わった。
この年は、経常黒字が、八五~八九年の年平均七二〇億ドルから三六〇億ドルへとほぼ半減するなかで、長期資本収支の赤字もこれをやや上回る四四〇億ドル前後と、以前にくらべ約四割という水準に急減している。
続く九一年以降、債券投資は徐々に回復していったが、八〇年代後半の水準に復帰することはなかった。
そして経常黒字拡大のもとでも、長期資本収支の赤字幅は経常黒字をはるかに下回る規模となり、以前のように経常黒字幅を上回るようなパターンの再現はなかった。
九一年には、日本の株式などに対する海外からの証券投資の活発化で、長期資本収支が若干のプラス(流入超過)にふれたほどである。
バブルの崩壊で、さしものジャパン・マネーも、ドル安による為替差損リスクに耐えきれなくなってしまったことが窺われた。
バブル潰しのための高金利政策によって、内外金利差の魅力もまた失せていた。
貿易でのドル建て比率が七割という状況は、日本企業が輸出代金のドルを売って円に替えるため、基本的にドル安への圧力を含んでいる。
さらにアメリカの経常赤字の拡大も、恒常的なドル安の要因であった。
これに対して、円を売ってドルを買うアメリカ国債などの取得、つまり資本取引が、際限のない円高に歯止めをかけていた。
そのアメリカ国債の取得が止まったのである。
ジャパン・マネーは国内滞留し、これが海外での円資金不足を招いて、潜在的な円高要因を構成する。
後に見るクリントン政権の超円高攻勢はそこをねらったともいえよう。
どこが肩代わりをともあれ、ジャパン・マネー時代の終鳶によって、アメリカの対外資金収支も変化せざるを得なくなった。
八〇年代後半には、アメリカは、巨額の経常赤字に対し、その二倍近い資金流入を得て、差額を海外への直接投資や証券投資、融資に回していた。
これが九〇年以降は、大きな変貌を見せる。
九〇年には、資金流入額が、経常赤字をわずかに上回る程度に落ち込んだ。
とくに財務省証券、その他証券では、海外の民間部門からは実質的に流入がとまったといってよい。
その結果、米銀の海外貸出しもこの年はついに回収超過となるほどで、海外投融資に急ブレーキがかかったのである。
続く九一年は、五四〇億ドルの湾岸戦争戦費の国際支援が、経常赤字をほとんど消してしまうという特殊な状況だった。
対イラク戦争で米軍が使用した武器弾薬類は、大部分がすでに予算処理されており、実際に経費として支出されたのは億ドル以下だと推定されている。
アメリカは国際的な政治力で、五〇〇億ドル近い海外からの資金純流入を確保したのだった。
九二、九三年と経常赤字は再び拡大に転じたが、九三年は次の点が目立っていた。
対米証券投資の増大によって資金流入量が増え、これにともなってアメリカから海外への証券投資も活発になっている。
特にアメリカの財務省証券の取得では、落ち込んだ民間部門を前年の三倍もの公的部門による投資が埋めている。
どの国が、ジャパン・マネーの肩代わりをしていたのか。
ここで財務省証券五〇〇億ドルを含めた公的資金流入七〇〇億ドル強の内訳をみると、その九割はインド、マレーシア、ブラジルといったアジア、中南米諸国の中央銀行からの投資であることが明らかにされている。
西側諸国からの膨大な直接投資や、これら「新興市場」で高いパフォーマンスを狙う年金、投信からの資金流入が、これら新興工業国を潤し、余剰分を対米投資にふり向けさせていたのである。
形のうえでは、かつての日本に新興国が入れ替わった恰好になっているが、こうしたアジア・マネーは、それが中央銀行の投資行動であっても、あくまでドルを支えようといった使命感とは無縁で、むしろドルの変動に応じた機敏な動きが特徴である。
したがって、対米証券投資も、かつてのジャパン・マネーとは違って、長期の安定的な投資ではなく、アメリカは、対外マネー収支において、この段階では、決して安定した基盤のうえに立ち戻ったとはいえなかった。
クリントン政権を迎えた九三年という年の、アメリカの対外資金収支をめぐる状況は以上のようなものであった。
円独歩高かドル全面安かアメリカという国は、経常赤字を続ける以上、少なくともそのファイナンスを確保しないかぎり、資金不足から金利が高騰、ドル・株の暴落を招きかねない不安を常に内包してきた。
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